7/6、オウム真理教という新興宗教の教祖やその幹部ら7名の死刑が執行された。
地下鉄サリン事件という、東京近郊に住んでいた人にとっては、生活に隣接しかねない事件に恐怖した、今も生々しい記憶がある。
顔を知っている他人の大量に執行された。
平成の最後の年に、平成最大の事件の幕引きが行われた…そう解釈している人も多いだろう。
今回は、一連の事件をテレビで見ていただけだったけれど、メディアとは、と考えたため、私なりの考えや分析を述べたいと思う。
※なお、事件は記憶に基づいているため、曖昧や間違いがあるかもしれないことを、付記しておきます。
死刑囚の顔と名前が一致する
今回、執行された死刑囚については、教祖だけでなく、幹部たちについても顔と名前が一致するほどだ。
声とかは覚えていないけれど。
何となくテレビで見知った人に死刑が執行されるというのは、何だか複雑な気持ちになった。(この複雑な気持ちは、ちょっと冷静になると払拭された。詳細は後述する)
なぜだかテレビでよく見ていた。教祖だけでなく、教団幹部への取材から始まり、教団の組織図とか、何とかサティアンにはどんな施設かなど、訳の分からない内部事情も詳しく放送されていたからだ。
自分でも一連の事件への関心があったため、ワイドショーや報道をよくみていたという経緯もあるが。
テレビで連日放送されていた
オウム真理教の事件は、連日ワイドショーで特集が組まれていたほどだった。
その頃、新興宗教から脱退したいけれどできない、などといったトラブルが一般人だけでなく芸能人にも多く起こっており、その一環としても注目を集めていた。
そもそも、脱退をめぐって、その脱退を支援していた弁護士さんが一家で殺害された事件が起こっており(これが坂本弁護士殺害事件)、オウム真理教が犯人でないかと疑われていた。
そして、同じ頃、兄弟姉妹の脱退をめぐってオウム真理教とトラブルがあった公証役場の職員が殺害された事件、松本市でサリンが撒かれ、一般市民が命を落とした事件(松本サリン事件)などもあり、これらも同教団の仕業ではないか、とされていた。
そんなときに起こった地下鉄サリン事件。地下鉄に乗っていた人を大量に死亡させる。残虐な事件。日常的に鉄道を使い、居眠りまでする平和な日本人にとって、それはそれは衝撃的な酷い事件だった。
サリンなんて、その当時誰も知らなかった。
まさか、水蒸気を吸い込んだというだけで致死量に至ってしまうなんて、誰が想像できるのか
そして、そんなものが、地下鉄に持ち込まれるなんて
おそろしかった。全然関係ない一般の乗客が無差別に狙われる
そんな事件、ほとんどなかった
しばらくすると、オウム真理教の仕業ではないか、という疑いが世間的にわいてきた。
空中遊泳というギャグというかネタ(写真撮影のトリックや変な歌で教祖が選挙に立候補)で、ネタ宗教といわれていたこの宗教団体がこんな大量虐殺を起こすというギャップも衝撃的だった。
この地下鉄サリン事件が起こったとき、インターネットは普及しておらず、一般人が情報を得るには、書籍や雑誌、テレビ、新聞、人づてくらいしか方法がなかった。そのため、当時この地下鉄サリン事件が起きたとき、連日ワイドショーは、オウム真理教を追った。特集が組まれたことも多かった。
幹部達が取材に答えており、「うさんくさい」「嘘を言っているのでは」など、一種公開捜査の生き証人のように、テレビに注目していた。
放送中に、殺人事件も起こった。
目の前で、人が刺されたのだ。さっきテレビでインタビューに生放送で答えていた幹部が、突然刺された。
そして死亡のニュース。
何が何だか分からなかった…。
いよいよ一斉捜査が始まる
山奥の村に教団施設はあり、警察の一斉捜査が始まったときもテレビ放送され、
教祖はどこに隠れているのか、ワイドショーで憶測や分析がされていたものだ
そういういきさつから、教祖だけでなく、主要幹部はテレビによく出演していたため、今回の死刑執行については、ある種複雑な気分になった。
同じ気分になった人も多いかもしれない。。。
被害者のコメントで目が覚める
死刑執行の報道のときに、被害者の遺族のコメントがなされた。「ようやく」「やっと」「事件の真相なんて望んでいない」
事件の悲惨さが蘇る
今も後遺症で苦しんでいる人がいる
そうだ、彼らはおそろしい事件を起こした。大量殺人。
だから死刑になったのだし。ご遺族からすれば、恨みを晴らしたい、執行をこの目で確認したいと思うのは当然だ。
そう、ようやくというのは、この20年あまりの間に亡くなってしまったご遺族もいるからだ。
恨みを晴らしたいと思うのは当然で、死刑もある種被害者の気持ちへの報復もある(日本は目には目を、だけでなく教育的観点もあるのだが)。
亡くなった人は帰ってこない
後遺症を負ったら、元に戻らない
苦しみはずっと続いていたんだ…
むしろ今まで執行されなかったのが遅いくらいだろう
メディアのあり方を考える
毎日テレビで見ていたため、一種芸能人のように、何となく身近に感じてしまったのではないか
悲惨な事件を起こした、でも、その悲惨さは、テレビでは具体的に放送されない
今回、少しウィキペディアで事件を読むと、坂本弁護士殺害事件なんて、本当にひどいとしか、言葉が出ないほどの殺害方法。
こんなの、死刑になって当然と思うような事件だ。裁判で明らかになったが、ワイドショーではそこまで詳細には語られていない(と思う)
一種複雑な気分になった自分を恥じた